"本物"の愛情の注ぎ方
料理から学ぶ間違った愛情?
例えば料理を作るときに、「大切なスパイスは愛情です」なんてことを耳にしたことがあるでしょう。
しかし僕は声を大にして言いたい。
なにを馬鹿げたことを言っているのだ、と。
結論から言うと料理における愛情とはつまりこういうことである。
愛情をこめる=どうすれば美味しくなるか突き詰める
ということであり一生懸命作ったからだとか、その人を思って作っただとかは関係ないのである。
結果それが美味しくなければ愛情不足ということではなく、ほんとうの愛情を注げていなかった(ほんとうに相手に美味しいものを食べてほしいと思っていなかった)ということなのだ。
逆に言えば、本当に相手のことを思っているなら本やインターネットで調べたり、難しい技術が必要なら事前に練習したりすればいい話である。(絶望的に料理のセンスがない(味音痴等)といった場合もあるので、一概にそうとは言えないが…)
いまは料理の話を例に挙げたのだがどんな場合にも言えることで、”愛を込めればいいものができる” とか ”頑張れば上手になる”といった、根性論やスピリチュアルなものは愚か者の考えである。(といいつつ、筆者はスポ根漫画や占いは大好きである。
スピリチュアルという話題に関してもいずれ書いてみたい)
大事なのは結果、「大好きなあの人が作ったからなんでも美味しい!(はぁと)」
なんてことはなく、大好きな彼女が作ろうが大嫌いなアイツが作ろうが、不味いものはマズイし、美味いものはウマいのだ。(喜びの度合いに関しては作った人も影響するのだが)
最近の若者は本質を全く見れていない。
というのが愛情という話題を通して伝えたかったことで
時間だけを無駄にした努力と呼べない努力を評価したり、特に美味しくないものをインスタ映えだのなんだのと託けて、高い対価を払って食べようとすることがいかに愚かであることかをわかっていただきたい。
ちなみに、適当な飲み物にトランプを添えれば、それはもうインスタ映えしてしまう。
というライフハックを添えておこう。(たまにはマジシャンらしいことを…)
努力によって結果が生まれる、というのは間違いで、結果に努力がついてきているだけ。ということを覚えていただきたいです。
練習や勉強はして当たり前で、それが実るかどうか。それが大事なのです。
僕はぜひこの記事を見た方には、良いものを良いものとして、また悪いものを悪いものとして扱えるような人間になっていただきたいと思っています。
さて、もう一度タイトルのお話にもどりましょう。
あなたは本当の意味でパートナーのことを愛せていますか?
誰かを愛している(笑)自分を愛しているだけではないですか…?