魔法なんて少し使えれば十分なのに。
無情にも目の前で閉まっていく電車のドア
最後の一本だというのに火を着けることのできないライター
10秒だけでいいから時間を止めれたなら。
ほんの小さなもので構わないから火を出せたなら。
……こんなことを思ってしまう程には情けない大人になってしまった。
魔法なんてフィクションの中のものにすぎない、と理解することが大人になるということではなかったのか。
魔法とかいう幻想を思い浮かべずに、目の前に映る現実を見れるようになることが大人になるということではなかったのか。
僕の中の大人の定義というのはそういうものだ、だから「少しでいいから魔法を使えたなら」と思うことは情けないことに他ならない。
…そういえば「電車に乗り遅れたんなら次の電車が来るまでの時間で、好きなことできるじゃん!」という発想をするタイプの友人がいたな。
子どものような笑顔を常に振り撒くような男だった。
そいつは今では、自分のやりたいことを見つけ、それを仕事にし毎日を楽しく、家庭を持ちそれなりに裕福な生活まで送っているらしい。
やりたくない仕事で、満足のいかない給料をもらい、おまけに家に帰っても、テレビの画面しかおかえりを告げてくれない僕とは大違いだ。
少しだけ魔法が使えたらなにか変わるのだろうか…
いや、僕が使えたところでなにも変わらないだろう。
逆に、彼のような人間にこそ魔法を与えられるべきか…
いや、彼には魔法なんて必要ないんだろう。
魔法なんて人間には必要がないから、人間には魔法が使えないんだろう。
もしその時が来れば、みんな使えるようになるのだろう。
(…大人になんてならなくてもいいのかもな。)
いつもより一本遅れの電車を後にした僕は、そう口ずさんだつもりで、最後の一本をゴミ箱に投げ捨てた。
家に着いた彼は退職届の用意をし、押し入れに仕舞っていたものを取り出した。
その表情はどこか子供の様で、魔法の存在を夢見ているようだった。